今日は8月15日終戦記念日ですね
66年前に日本が戦争をしていたなんて中々想像できませんが
祖父母や当時を経験した方々の話を聞くと色々と思うところがあり複雑です
そこで今日は今まで私が聞いてきた戦争時の話しを簡単にですが書いてみたいと思います。
【祖父の話し】
私の父方の祖父は戦時中、大陸のほう(島の名前とか言って居た気がしますが思い出せません)へ渡り戦っていたそうです
仲良くなった部隊仲間とは家族自慢や結婚自慢、恋人自慢など戦闘以外では明るく過ごしていたそうです。
ただ、いざ戦闘が始まると其処は地獄かと云うほどの光景-先ほどまで談笑していた仲間が言葉もなく倒れていく姿は本当に辛かった-だったと云っていたのが印象的でした。
戦争が終結した後、祖父はシベリアに連れて行かれ3年ほど強制的に働かされたそうです-俗に言うシベリア抑留ですね-
そこでは、とにかく寒い中での肉体労働の日々で辛かったと話していましたが
沢山の日本人が得意の趣味:ギター演奏や浪曲披露などで励まし続けている人もいて凄く励まされたとも云っていたのが印象的です
3年ほど経った頃やっと日本に戻れる事となり帰国したそうですが
もう少し後の部隊だったら帰国できなかったとも云っていました-帰国していなければ自分は居なかったのだなと思うと不思議に思います-
※祖父は無口な人でしたが事戦争の話しになると多弁になり時に涙を溜めながら話してくれたことを覚えています
【戦時中子供だった方のお話し】
戦争末期10歳だった方の話ですが
仲良し3人組で田んぼの横道を歩いていた時の事です。
其の日は多少雲が出ていたらしいですが日差しもあり晴れと言って差し支えない日だったそうですが
その空の遥か上空から突然アメリカ軍の戦闘機が急降下してきたそうです。
3人はその戦闘機に気づき慌てて走り出しましたが其の戦闘機も3人を見つけたらしく凄いスピードで追いかけて来たそうです
「もう駄目だ!」と思い地面に頭を付けかがんだ瞬間
戦闘機は急上昇してあっという間に上空に消え行ってしまったそうです
どうやら銃器類は何も装備せずに偵察だけを目的で飛んでいた所を子供を見つけ、からかって帰った、、と云うところでしょう
ただ其の時、空襲警報などはなかったとの事
もう日本のレーダーに探知されない技術がアメリカにあったという事実が浮き彫りになる話しで自分は怖さと共に憤りを感じてしまいました
【お店に来られた方の戦争体験とその後のお話し】
其の方が来院されたのは7〜8年前の初夏だったと記憶しています。
夏が始まる!と云うこともあり想いで話しをしながらの施術となり其の中で戦時中の事やその後の話が出ましたので書いておきます
其の方は戦時中は大陸のほうへ渡り戦ったと云っていました。
戦争終了後は私の祖父同様シベリアへ連れて行かれ強制労働を受けたそうです。
(もしかしたら私のソ祖父と会っていたかもしれませんね)
辛く逃げ出したい気持ちと此処で自分の人生が終わってしまうのでは?という不安でいつも押しつぶされそうだったと云っていたのが印象的でした
3年ほどして帰国した後はスグに結婚し子供(息子さん)一人に恵まれ幸せだったそうですが40代になったお子さんを事故で亡くし絶望しかけたそうです
自分が戦争に行ったせいではないか、、だからこの歳になり息子を連れて行ってしまったのか、、と
でも息子さんのお嫁さんが「これからはあの人の代わりに傍に居ますから、そんな事言わないでください」と言ってくれたそうで心から救われた気持ちになったそうです
この話しを聞いてから随分経ちましたが今でもこの時期になると思い出してしまう其の方の体験話し
今回ブログに書くか迷いましたが残しておこうと思います
段々戦争前後の話しを語る方が少なくなって来ていますが此れからも、、少しでも残していく事が
今を生きる自分達には大事な事だと思うので此れからも機会があれば残していきたいと思います
明日は"2011年8月17日〜23日までのライブ情報〜厚木市旭町.成田市.花堂東.新宿.宇多川町.湯川.宿河原〜"です
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